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名古屋高等裁判所 昭和53年(う)192号 判決 1979年2月14日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中九〇日を原判決の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人渡辺明治名義の控訴趣意書(なお、当審第一回及び第六回公判調書中の同弁護人の釈明参照)に、これに対する答弁は、検察官原田芳名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

<前略>

二控訴趣意中原判示第二の事実に関し訴訟手続の法令違反を主張する論旨について

所論は、要するに、原判決は、原判示第二の事実として、昭和五二年八月一一日付起訴状記載の公訴事実と同一の事実を認定したが、右公訴事実によつては、犯行の日時・場所・方法の特定が不十分で、審判の対象が特定したことにならず、被告人の防禦権の行使に重大な支障を来たすのであるから、かかる特定の不十分な訴因について被告人を有罪と認めた原判決には、訴訟手続に関する法令(刑事訴訟法三三五条一項、三三八条四号、二五六条三項)に違反した違法がある、というのである。

そこで、検討するに、一件記録によると、前記起訴状の公訴事実欄には、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五二年六月下旬三重県桑名市付近において、フエニルメチルアミノプロパンまたはその塩類を含有する覚せい剤若干量を水に溶いて自己の腕部に注射し、もつて覚せい剤を使用した。」旨の記載がなされていたところ、検察官は、原審第一回公判期日における弁護人の釈明要求に対し、「(1)右公訴事実中昭和五二年六月下旬とあるのは、被告人が逮捕された同年六月二八日午前一〇時以前の六月下旬のことである。(2)桑名市付近とあるのは、桑名市内のみではなく、その周辺を含む趣旨である。」との釈明をしたが、犯行の日時・場所・方法のそれ以上の特定は、立証段階に譲るとして、これを拒んだこと、原裁判所は、同公判期日になされた弁護人の公訴棄却の申立に対する判断を留保して右各被告事件の実体審理を進めたが、原審第九回公判期日に行われた論告において、検察官は、取り調べた証人宮本忠男及び同三井利幸の各供述を援用して、「覚せい剤の体内残存期間は、おおむね約四日間までである。」「覚せい剤の一回の使用量は、通常0.025グラムないし0.03グラムであり、常習者の場合は量が増えるが、致死量は約0.4グラムである。」「被告人について、逮捕の翌日の午後七時ころ、身体検査令状によつて強制的に採尿し、鑑定の結果覚せい剤を検出した。」旨、前記公訴事実をいつそう具体化する陳述を行つたこと、原審第一〇回公判期日において、原裁判所は、右公訴事実と同一の事実を鑑定したうえ、原判示第一の事実と合わせて、被告人を懲役一年二月(未決勾留日数一〇〇日算入)に処する旨の判決を言い渡したこと、などの事実が明らかである。

ところで、刑事訴訟法二五六条三項によれば、訴因を明示するには、できる限り日時・場所及び方法をもつて罪となるべき事実を特定してすることが必要であるが、右規定は、犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合に、ある程度幅のある表示をすることを、絶対に許さない趣旨ではない(最高裁判所大法廷昭和三七年一一月二八日判決、刑集一六巻一一号一六三三頁参照)。これを本件についてみると、本件は、一般に犯行の目撃者等の少ない覚せい剤の自己使用罪の案件であるところ、記録によると、被告人は、後記三認定のとおり、別件の覚せい剤譲渡罪で逮捕されて以来、その両腕に見られる多数の静脈注射痕ようのものについても、「タバコの火で焼いた跡である」(検察官に対する供述)などと強弁するだけで合理的な弁解をせず、その身体から採取された尿中に覚せい剤又はその塩類の含有が認められる旨の鑑定の結果を示されても、頑として右自己使用の事実を否認し続け、他に、右犯行の日時・場所等を具体的に特定すべき証拠を見い出し得なかつたことなどの事実が認められるのであつて、かかる事実関係に徴すると、本件は、公訴事実の特定に際し、ある程度幅のある表示の許される場合であると認められる。しかも、本件においては、検察官が本件公判の審理の過程においてなした前記のような釈明及び論告によつて、本件覚せい剤自己使用罪の行われた時期は、前記のように、被告人の逮捕時(昭和五二年六月二八日午前一〇時)以前で、被告人から採尿した同月二九日午後七時を遡ること約四日以内であることが明示されている以上、本件公訴事実によつて検察官が審判を求めようとした対象はおのずから明らかであつて、被告人の防禦の範囲も限定されているというべきであるから、公訴事実の特定に関し前記のような表示を許しても、これによつて、被告人の防禦に実質的な障碍を与えるおそれもないと認められる。そうすると、本件公訴は、何ら刑事訴訟法二五六条三項に違反するものではないから、原判決が(弁護人の主張に対する判断)において、結局これと同旨の見解により、弁護人の公訴棄却の申立を排斥し、被告人を有罪と認めた点に、所論の訴訟手続の法令違反は毫も存せず、論旨は理由がない。

三控訴趣意中原判示第二の事実に関する訴訟手続の法令違反ひいては事実誤認を主張する論旨について

所論は、要するに、原判決挙示にかかる原判示第二の事実の証拠のうち、(一)加藤始作成の上申書(以下、加藤上申書という。)は、同人の原審公判廷(第五回)における供述(以下、加藤供述という。)により補強されてはじめて証拠能力を有するものであつて、これをはなれて独自の証拠能力を有するものではない。また、(二)三井利幸作成の鑑定書(以下、三井鑑定書という。)は、被告人の意思に反して強制採取された尿についての鑑定の結果を記載したものであるところ、被告人の尿を強制採取することは、憲法の保障する黙秘権をおかす違法手段による証拠の収集であり、その鑑定結果を罪証に供することは許されないのみならず、その信用性にも疑問がある。したがつて、原判決が、かかる証拠に依拠して原判示第二の事実を有罪と認めたのは、訴訟手続の法令に違反し、ひいては事実を誤認したものである、というのである。

そこで、検討するに、

(一)  加藤上申書の証拠能力の欠缺等を主張する所論について

一件記録によると原判決が、原判示第二の事実の証拠として掲げた加藤上申書は、医師である同人が、昭和五二年七月一二日江南警察署の依頼により、被告人の両腕にみられる傷痕について診察した結果を記載した書面であり、原審第六回公判期日において刑事訴訟法三二一条四項該当の書面として取調べを経たものであることが明らかであるが、右上申書の体裁、内容及び加藤供述にあらわれたその作成の経緯などに照らすと、右は、同条項所定の書面に準ずる書面として、その証拠能力を肯定することができるから、証拠として、右加藤供述を掲げず、同上申書のみを掲げた原判決に、証拠能力を有しない証拠を引用した違法があるとはいえない。もつとも、所論も主張するとおり、右上申書は、その作成者である加藤の供述によつて、その内容が一部訂正されているのであるから、特段の事情のない限り、右書面は、右加藤供述と実質的に矛盾しない限度においてのみ証拠価値を有すると認めるのが相当である。そうすると、原判決が、右加藤供述を証拠として挙示せず、右上申書のみを何らの留保もなしに証拠として引用したのは、措置妥当を欠くが、原判決は、右上申書を、その記載のうち、加藤供述と実質的に矛盾する部分(とくに、六月二八日の時点で静脈の周囲に皮下出血を思わす青色、円形の変化があるのを認めた趣旨の部分)を除外して、当時被告人の両腕に多くの静脈注射の痕跡が認められる、との点に限つて、これを証拠としたものと解することができるから、原判決には所論の違法はなく、論旨は理由がない。

(二)  三井鑑定書の証拠能力の欠缺等を主張する所論について

一件記録並びに当審における事実取調べの結果によると、三井鑑定書の作成の経緯等に関し、次のような事情の存したことが明らかである。すなわち、(1)小林明博の供述を端緒として捜査を開始した愛知県江南警察署は、昭和五二年六月二八日午前一〇時ころ、同人に覚せい剤を譲り渡した被疑者として、被告人を、三重県桑名市大字江湯七四番地の当時の住居付近において逮捕したこと、(2)同署警察官宮本忠男は、被告人を右逮捕の場所から同署へ引致する途中、被告人の両腕に存する多数の注射痕らしきものや、その言語、態度などから、覚せい剤自己使用の余罪の存在を疑い、被告人を同署に引致するまでの間及び同署に引致した後も、翌二九日夕刻に至るまで、被告人に対し、繰り返し尿の任意提出を求めたが、被告人の頑強な拒絶にあつてこれを果たせなかつたため、このうえは、尿の強制採取もやむなしとの考えのもとに、一宮簡易裁判所裁判官に対し、鑑定処分許可状及び身体検査令状の発付を請求し、同日午後四時ころ、同裁判所裁判官から、右二通の令状を得たこと、(3)同署においては、同日夕刻、鑑定人である厚生連愛北病院外科部長医師尾関一郎に対し、被告人の身体から強制採尿することを依頼したが、同医師は、自然排尿が望ましいとして、ただちには、右採尿を差控えていたこと、(4)同日午後七時ころ、同医師は、「本人がどうしても排尿しない。」との連絡を受けて同署へ赴き、同署医務室のベツド上において、数人の警察官から身体を押えつけられている被告人の陰茎から、七号のネラトンカテーテル(外径4.5ミリメートルのゴム管)を用いて、約一〇分間に約一〇〇CCの尿を採取したこと、(5)被告人は、右強制採尿の開始後は、あきらめてさしたる抵抗をしなかつたが、その直前までは、「絶対に出さない。」などといつて激しく抵抗し、あくまで採尿を拒否する態度を見せたこと、(6)同署においては、同医師から、採取した尿の任意提出を受けてこれを領置したうえ、同月三〇日、愛知県警察本部犯罪科学研究所技術吏員三井利幸に対し、右尿中の覚せい剤含有の有無等について鑑定を嘱託し、右嘱託に基づき同人は、右尿につき鑑定を行い、同年七月六日付鑑定書を作成したこと、以上の各事実の存したことが明らかである。

ところで、捜査機関が、覚せい剤使用罪の証拠資料とする目的で、被疑者の尿を令状により強制的に採取することは、その供述を求めるものではないから、憲法三八条一項による黙秘権の侵害に該当しないことが明らかである。したがつて、本件の強制採尿の措置をもつて、憲法上保障された被告人の黙秘権の侵害であることを前提とする所論は、採用できない。ただ、本件におけるように、尿の提出を拒否して抵抗する被疑者の身体を数人の警察官が実力をもつて押えつけ、カテーテルを用いてその陰茎から尿を採取するがごときことは、それが、裁判官の発する前記のような令状に基づき、直接的には医師の手によつて行われたものであつたとしても、被疑者の人格の尊厳を著しく害し、その令状の執行手続として許される限度を越え、違法であるといわざるを得ない。もとより、捜査機関において、かかる被疑者から尿を採取する捜査上の必要性の強いことは十分に理解できるが、人が排尿を人為的に拒否できる時間には、おのずから限度があることなどからすれば、採尿のための器具、設備等を工夫することにより、他の、より人格侵害の少ない方法で採尿の目的を達することが不可能ではないと思われるのであつて、採尿の必要性が強いことをもつて、本件のような採尿方法を正当化することはできない。

しかしながら、本件における前記各令状の執行手続の違法は、前記のような強制採尿にいたる経緯、とくに被告人の逮捕直後から覚せい剤使用罪の嫌疑が濃厚であつたことなどに照らし憲法及び刑事訴訟法の所期する令状主義の精神を没却するような重大なものであるとは認められないから、被告人に対する採尿の方法に右のような違法があるからといつて、その結果採取された尿及びこれを資料として行われた鑑定の結果を記載した書面等の証拠能力を否定するのは相当でなく、前認定の経過により作成された前記三井鑑定書は、結局、その証拠能力に欠けるところはないというべきである(なお、最高裁判所第一小法廷昭和五三年九月七日判決、判例時報九〇一号一五頁参照)。また、本件において、三井鑑定書の資料とされた被告人の尿が、逮捕後三三時間を経過した後に採取されたものであることは、所論の指摘するとおりであるが、<証拠>などによれば、検出可能な覚せい剤の体内残存期間は、通常四八時間程度であり、中には使用後六〇時間経過後九〇時間以内に採取した尿からも覚せい剤を検出した例のあることなどが明らかであるから、右三井鑑定書の内容に合理性がないとはとうてい認められず、いわんや、右鑑定の資料である尿に対し、捜査官の作為的な工作がなされたとの疑いは、記録上まつたくこれを疑うことができない。果たして然らば、同鑑定書の証拠能力及び証明力をいずれも肯定し、他の関係証拠と総合して原判示第二の事実を有罪と認めた原判決に、所論の訴訟手続の法令違反ないし事実誤認の違法は毫も認められない。所論は理由がない。<以下、省略>

(菅間英男 服部正明 木谷明)

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